ハンセン病問題に関する素朴な疑問

ハンセン病問題に関する素朴な疑問

Q.ハンセン病問題ってもうすんだことじゃないの?今になってわざわざ学ぶ意味はあるの?

A.私たちの今の問題を考えるために、ハンセン病問題は学ぶ意義があります。

現在の日本におけるハンセン病の発症者は1年間に数名程度、たとえ発症しても早期の適切な治療があれば病気が重症化することもありません。この国において病気自体は既に克服された状態にあると言えます。またハンセン病の回復者の多くは、人生の大部分を奪われたとは言え、現在では療養所で看護と介護を受けながら生活することができています。「ハンセン病問題は解決された」と考えられる方もいるかもしれません。

しかしながら、ハンセン病に関する現状と、この歴史を学ぶ意義は必ずしも関係するわけではありません。

たとえば太平洋戦争においては310万人の日本人が死亡したと言われており、これを含む第二次大戦全体では全世界で5000万人を超える死者が出たとされています。この戦争は既に終結しており、現在では戦争を体験した人も少なくなりました。しかし、この戦争の歴史を学ぶことを疑問視する人はほとんどいません。それはこの歴史を知ることにより戦争の悲惨さ、平和の尊さ、戦争へ至る道を回避する方法が見出せると多くの人々が考えるからです。

ハンセン病問題も同様です。ハンセン病の歴史を知ることにより、病気に対する偏見の悲惨さや、多数派が少数派を簡単に攻撃してしまうという人の性質、科学的裏付けの無い風説を信じてしまうことの危険性などを学ぶことができます。

私たち皆が幸福に生きていける社会を作るために、ハンセン病の歴史は学ぶべき意義があるのです。

Q.ハンセン病って私たちには関係ない。学ぶ必要はないんじゃないの?

A.「関係ない」のではなく、「関係がある」と思うことによって学ぶ意味が出てきます。

現在の日本の衛生環境、国民の栄養状況が続く限り、皆さんがハンセン病に感染・発症する可能性はかなり低いでしょう。また現在に至るまで、皆さんの家族・親戚のなかに患者がいたという事実も無いかもしれません。

しかし「ある少数の人々、限られた人々だけが不幸になっている、私には関係ない」、このような考え方は非常に危険です。

人は一人ひとり、特別な自分だけの人生を歩んでいます。ある日突然交通事故にあい障害を負う人、あるときから急に学校でいじめられるようになった人、予想し得ない事態で仕事を失う人、あるきっかけで心が深く傷つき自殺を考えるようになる人。皆それぞれ様々な境遇を抱えています。そしてその全てがそれぞれ独自の体験であり、同じものはありません。

同じ体験が無いのであれば、自分の体験以外は全て「他人ごと」です。しかし、それを他人ごとと切り捨てていては、人がわかりあえる、助け合える社会が作られることはありません。

人はそれぞれの境遇を抱えながら、毎日を自分なりに、一生懸命に生きています。そのなかで直面する不幸やトラブルを一人で乗り切ることは非常に困難です。病気になったときには医療を提供してほしいと願いますし、貧しい時にはお金の援助が欲しいと思います。いじめにあったときには人間関係を調整してほしいと願うでしょう。

お互いを助け合おうという気持ち、尊重しあおうという気持ちが皆にあれば、もっと生きやすい社会が実現していきます。生きやすい社会が実現すれば、皆が自分の人生にもっと自信を持ち、前向きに、幸せに生きていくことができます。

ハンセン病問題の歴史は、ハンセン病という大きな不幸に直面した人々の歴史です。そのような人々がいたと知ること、そのような立場の人々が今もいるかもしれないと想像すること、そのような立場に人々を追い込まないように自心掛けること、そのような姿勢がよりよい社会をつくることにつながっていきます。

ハンセン病問題を、あなた自身の問題として考えてもらうことを願っています。

Q.なぜわざわざハンセン病問題なの?他の人権問題を学んでもいいんじゃないの?

A.できるだけ多くの、様々な人権問題を学んでください。ハンセン病問題はそのなかの一つです。

世の中には様々な人権問題が存在します。身近なものであれば、いじめや貧困、家庭内暴力といったものがあり、規模が大きなものであれば戦争、民族紛争、飢餓、人種差別といったものがあります。

このように並べると、一見、重大なものと些細なものがあるように感じられるかもしれません。しかしながら人は戦争でも死にますし、学校のいじめでも死んでいきます。人種差別によって心に深い傷を負う人もいれば、親からの暴力、心理的虐待で生涯にわたって人とまともにコミュニケーションをとることができなくなる人もいます。

戦争を知っている世代、飢えている地域の人々は、そうではない世代、地域の人々に比べ、心がたくましいのでしょうか。そうかもしれません。しかしだからといって「世の中にはもっと困っている人、あなたなんかよりもっと不幸な人たちがいるから我慢しなさい」ということにはならないはずです。

人は本当に小さなことでも傷つき、絶望し、死を選ぶことがあります。

では、人はどのようなときに傷つくのか。またどのようなときに、どのような経緯で、そのような状態が生じしてしまうのか。そのことの実例として知ることによって、私たちは人への慎重で適切な配慮を持つことができるようになります。

ハンセン病問題は数ある人権問題のなかの一つであり、必ずしも全ての人が詳しく知っておかなければならないという問題ではないかもしれません。しかしながら人類史上、非常に長く根強く続いた問題であったこと、日本を含め世界の各地で生じた問題であったこと、感染症であるがゆえに誰もが患者になる可能性があったということ、それにもかかわらず親身になっての救済が歴史上決して多くは無かったこと、患者の「療養」という一見善意で行われるように感じられる政策が結果として圧倒的な不幸を患者と家族にもたらしたことなどは、この問題の特筆されるべき点であり、それゆえ得られる教訓も多く存在します。

「ハンセン病問題を知ったからハンセン病患者に対する差別はしない」、「人種差別の問題を知ったから人種差別はしない」、では全ての人が全ての人権問題を知るまで人権問題は無くなりませんし、そしてそれは不可能です。

一つの、或いは複数の人権問題から、人を尊重される社会を実現することのヒントを見出していくような姿勢こそが重要です。ハンセン病問題は様々な人権問題のなかでも比較的、得られる教訓の幅が広く、深みもある問題であると私たちは考えています。

Q.ハンセン病の隔離政策は本当にまちがっていたの?仕方がないことだったんじゃないの?

A.この病気を克服する過程でたくさんの人たちが不幸になりました。他にもっと良い方法がなかったのか、皆で深く考えることが歴史から得られる教訓をよりゆたかにします。

ハンセン病の患者が多くいた時代、また病気の解明も現在ほどは進んでいない時代。療養所を作って患者を収容することは、感染を防ぎ患者を保護する、隔離政策は社会にとってよい対処方法であると当時は考えられていました。「療養所を作って感染を防ぎ続ければ、いつかはこの国から患者はいなくなる。病気を発症してしまった人は運が悪かった。かわいそうだけれど一生療養所のなかで暮らしてほしい」。隔離政策は簡単に言えばそのような性質のものでした。

実際には衛生環境、栄養状態を向上させることのほうが隔離よりも適切な方法であったと現在では言われています。その視点から考えれば、隔離政策は明確に誤った方法であったと言えます(また、療養所の歴史全体を通じて、患者を保護する有効な方法だったとは言い難い運営状態でした)。

しかしながらこれについては「病気に対する知識は当時十分ではなかった。隔離がなされたことは、仕方がなかったのではないか」と反論する人もいるでしょう。

そうかもしれません。ただ一つだけ確かなことは、人の命、人生がかかわる問題に対して「仕方がない」という言葉を軽々しく使うべきではないということです。

ある日突然「あなたは少し変わった病気にかかった。この病気は人に伝染する病気だから今の生活を全て捨てて療養所で一生暮らしなさい」と言われたら同意できるでしょうか。また、「この病気についてはよく解明されていないから人への感染力がどれだけ強いかはよくわかっていない。だけど感染力が強いものとして扱われている。だからあなたが健康な人と触れ合うことも外出することも絶対に許さない」と言われて納得できるでしょうか。ハンセン病問題はこういうことが実際に起きた問題です。

「みんなのために、とりあえずあなたは人生を諦めてくれ」。そう言われてそれを受け入れられる者だけが「仕方がない」という言葉を使うことができます。

私たちはハンセン病問題を起こるべくして起こった不幸、歴史的に必要な段階だったとは考えていません。きっと、もっとよい方法があったはずだと思いながら歴史資料に関する考察を進めています。そしてそのような視点こそ、「仕方がない不幸」を社会から押し付けられる人を無くすために必要なことだと私たちは考えています。

Q.ハンセン病療養所の生活は本当にひどかったの?働きもせず国から養ってもらっている人間が贅沢をいって待遇に文句をつけていただけじゃないの?

A.あなたが家族や親戚、友人から縁を切られ、子供を生み育てることもできず、夢を持つこともできず、時代によっては病気に対する十分な治療も受けられず、療養所維持のための奉仕作業に参加して体を悪くする、そのような生活を一生療養所の中で続けられるのであれば、療養所の中の生活は十分なものでした。
あなたは本気でそのような生活を十分なものだと考えますか?

療養所の生活は時代によって大きく変化しています。菊池恵楓園の歴史を見れば、明治の開所期から太平洋戦争終結前までの生活については、療養所の生活は医療・食事・住居全ての面において至らないことの方が多かったと言えます。恵楓園の場合、大正末に入所者団体「自治会」が出来て物質・精神面、両方の生活を向上させようという入所者自身の努力もありましたが、生活全般が良好な状態に至るということはありませんでした。太平洋戦争前後の生活は特に筆舌に尽くしがたく、食糧・医療は不足し、多くの死者が出ました。

昭和30年(1955)代以降、日本の経済成長と共に入所者の生活も改善されてきましたが、これも外の社会と歩を同じくして改善されたわけではなく、入所者らの要求運動に促されながらそれらは実現されてきました。経済成長と共に「至れり尽くせり」の生活になっていったわけではありません。

「入所者が生活改善の要求をすること自体が生意気だ」とやや極端な考え方をする人もいるかもしれません。しかいながら日本国民全体がきれいな服を着、比較的ゆたかな食事をするようになった時代に、「ハンセン病療養所の入所者に限っては、戦前同様のみすぼらしい服と貧しい食事が提供されるべき」などと言えるでしょうか。

入所者はなんらかの罪を犯したわけでは決してなく、またその多くは療養所のなかでの生活を望んでいたわけでもなかったのです。あえて言えば、他の国民のために犠牲を強いられた人々が(それ自体も間違っていたわけですが)、その引き換えと言わぬまでも、他の国民と同程度の生活を望んだ、これが生活改善の要求だったのです。

様々な経緯があったにせよ、高度経済成長以降、療養所の生活が大きく改善されたのは疑い得ない事実です。しかしそれでも戦前同様、入所者らは子供を生み育てることは許されず、多くの入所者は故郷との関係も回復されませんでした。比較的軽症な入所者については療養所の外に出ることも少しずつ可能になっていきましたが、それも人目を忍んで出かけるといったものでした。また入所者にとって最も身近な療養所の職員も「入所者が出したお茶など飲みたくない」といった、入所者を忌避するような態度を取り続けていました。

総じていえば、療養所の生活は、太平洋戦争以前は物質・精神の両面にわたって大きく不足しており、太平洋戦争以後は日本の経済成長と共に物質面についてはある程度まで改善されました。しかしそれでも精神面の問題(ハンセン病に対する偏見、入所者であるということのうしろめたさ)や制度の誤り(ハンセン病の患者・回復者が本当の意味で社会に復帰できない、あるいは療養所で人間らしい扱いを受けて生きることができない)は平成期に至るまで残り続けたのです。

療養所では全時代を通して多くの自殺者が出ています。「自分なんかこの世に生まれてこなければよかった」そのように感じられる療養所の生活をあなたは望みますか?そしてその生活を自分の家族や親類、友人に強いることができますか?

Q.ハンセン病療養所の入所者は国民が納めた税金で生活している。国のやることに文句をつけたり、要望を出す権利なんてないと思う。

A.人は決して一人では生きていけない生き物です。あなたも必ず他の人々や社会からなんらかの恩恵を受けて生きています。社会のなかで人と共に生きることは当然の権利であり、そのなかでよりよい生活を望むのも当然のことです。あなたが社会にどんな仕打ちをされても、どんなに低い扱いをされても耐えられるというのであれば、入所者を批判してもよいでしょう。しかしながら誰しも社会からなされる低い扱いは耐えられないし、耐える必要もありません。

私たちは社会のなかで生活を送っています。道路や水道、病院、学校など、あらゆるものが皆の税金で賄われています。道路にひび割れがおきたり、水道の水が濁ったり、国公立の病院でいい加減な医療を受ければ、当然の権利としてその改善を要求します。

病気になったり、障害をおったりした人のなかには、働くことができなくなり、税金を納めることが難しくなる人もいます。そうでなくとも幼い子供は働くことはできませんし、高齢になれば皆、それまでどおり働くことはできなくなります。

では、働けない人々は社会にとって不要な人たちでしょうか。働けなくなった人たちは社会に役立たずの存在なのでしょうか。

人は皆、社会のなかで生きていく権利を持っています。高齢者、重度の障害者、子供など、多くの税金を納めていない人々でも道を歩くことは許されますし、公園で日向ぼっこをすることも認められています。税金を納めていない人間は全て生きる価値が無いという考えは間違っていますし、そのような考え方がまかりとおる社会はきっと、ぎすぎすした不幸なものとなるでしょう。

人は皆、生きる権利があります。そして、働ける人は働かねばなりません。しかし働けない人にも生きる権利が認められます。そうであるからこそ、働ける人も安心して一生懸命に働けるのです。働いて働いて、働けなくなったら死なないといけない、そんな状況で誰が前向きな気持ちで働けるでしょう。

事実関係の問題として、ハンセン病療養所の入所者が働いていなかったということも誤りです。療養所の入所者は療養所を維持するための「患者作業」や各種の奉仕作業に強制的に徴用され、体の障害の度合いを高めていきました。また、仲間がそのような状態に陥ることを見かねて、「自治会事業」という入所者独自の事業も進められてきました。入所者は体を悪くするほどに働き、仲間を助けするためにもまた働いていたのです。

入所者は怠惰な生活を送ってはいませんでした。療養所の歴史を通じて多くの入所者は何らかの労働を常時行ってきました。しかし、その労働は隔離政策のなかで行われる以上、税金が納められるようなシステムのものではありませんでした。また療養所内で入所者が懸命に働いたからといってそれに見合う対価が得られるわけでもありませんでした。

入所者は、自分の力を十分に発揮できる場が社会にあればそこで働いたでしょう。実際、多くの苦難のなかで社会復帰して外で働くということを実現した入所者もいました。隔離政策は、働いて税金を納め、社会に貢献するという権利を入所者から奪った、そのような見方もできるのです。

平成15(2003)年に起きた黒川温泉事件、これは熊本県が実施した「里帰り事業」において、恵楓園入所者が阿蘇の黒川温泉のあるホテルに宿泊しようとしたところ、温泉側から宿泊を拒否されたことに端を発する事件です。このときには入所者自治会に対して全国から多くの励ましの手紙が送られてきましたが、それと共にいやがらせの手紙も届きました。いやがらせの手紙の多くには「税金で食わせてもらっているのに」といった言葉が並んでいました。

「里帰り事業」は、入所者の苦難多き人生に対する自治体側の補償の一環という要素があります。それさえも踏みにじり、入所者が過剰な待遇を受けていると非難する手紙は、この国の社会がどれだけ人に対して冷たく、批判的であったかを示すものでした。

人に批判的な社会は、結局、批判的な人たちの行動さえも制限してしまいます。互いが互いを「分不相応」とけん制しあう状況では十分な社会福祉は実現されません。

皆が社会におけるよりよい生活、待遇を当然のように望み、それを尊重し合う。その要望の調整のなかに新たな社会が生じていくのではないでしょうか。

Q.ハンセン病問題に関してよく聞かされることは納得できないことも多い。そうじゃないんじゃないかとも思う。

A.資料館は資料に基づいて考え、その成果を社会に対して示す場所です。また、より詳しく知りたい方や、事実関係を問いただしたい方に対して、それを解決するためのお手伝いをする場でもあります。正当な手続さえとっていただければ、当館は可能な限りあなたの考察に対する援助を行います。

当館では多くの文書資料、生活資料、図書資料、映像・音声資料を収蔵しています。これらの整理・調査を行う過程で新たな事実が日々確認されています。

ハンセン病問題についてはその全てが解明されているわけではありません。また既に明らかになっている様々な事実についても、諸事実の新たな組み合わせから新しい歴史の見方が生まれることもあります。

ハンセン病問題の歴史に対して問いかけ、対話することを続けることで、現在の社会に有用な教訓を常に得ることができます。

ハンセン病の患者・回復者、その家族親類、また療養所職員など、ハンセン病にかかわる人々を軽侮する類の思想、倫理的に問題を有する思考の問い合わせでない限り、当館では誠意をもってご回答いたします。

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