恵楓園資料館ご挨拶

ご挨拶

国立療養所菊池恵楓園園長ご挨拶

園長

国立療養所菊池恵楓園園長
境  恵祐

菊池恵楓園歴史資料館ホームページをご覧になっていただきありがとうございます。

1909(明治42)年、全国に5つのハンセン病公立療養所が設置されることとなり、ここ菊池恵楓園もその一つでした。以来現在に至るまで100年以上療養所は存在し続けており、多くの人がその中で暮らしてきました。2023年7月現在も130名を超える入所者の皆さんがここで生活されています。

ハンセン病は今、先進国ではほとんど見られなくなっており日本人の新規発症者もほぼありませんが、世界中では年間およそ20万人の新規患者が見られています。かつて治療手段が無かった時代に患者を療養所に隔離する政策がとられ、治療法が見つかり完全に治る病気となった後でも日本の隔離政策は1996(平成8)年にらい予防法が廃止されるまで続きました。しかし治療法ができたとか法律が無くなっただけですべての問題は解決したと言えるのでしょうか?私たちの偏見は本当に消えてしまっているでしょうか?

ハンセン病元患者やその家族が受けてきた差別や偏見は重大な人権侵害です。その歴史を学ぶことは未来の社会の在り方や人権について考えるきっかけになります。規模は全く異なりますが、新型コロナウイルス感染症で様々な制限を体験した今だからこそハンセン病の歴史を知ってもらいたいと願います。

 

 

 

国立療養所菊池恵楓園入所者自治会会長ご挨拶

自治会長

国立療養所菊池恵楓園入所者自治会長
志村  康

令和4年5月13日「菊池恵楓園歴史資料館」がリニューアルオープンを迎えることになり、各方面のご協力に感謝申し上げます。

平成13年の国賠訴訟判決の後、多磨全生園では高松宮資料館が国立資料館として生まれ変わると知らされ、菊池恵楓園にも資料館設置の機運も高まってまいりました。

恵楓園内の旧事務本館には貴重な資料が積み上げられているにもかかわらず、何故かガラス窓が破られ鳩が営巣していることを知り、資料整理を実施しつつ展示等については自治会が費用を負担することで2006年に社会交流会館として資料館事業がスタートしました。

その後、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が2009年4月施行され、同法18条に資料館の設置が明記され、国立資料館が法的な裏付けを持つことになった一方、菊池恵楓園の場合は社会交流会館としてしか認められず臍を噛む思いでありました。

そうした中で、資料の整理が進められ明治42年以降の「患者身分帳」が存在していたことが把握されたこともあり、社会交流ではなく「歴史資料館」としての機能の必要性が認識されてきました。また入所者の絵画会「金陽会」の油彩950点を後世に残すためには温湿度の管理ができる収蔵庫の整備も急ぐ必要があり、幾度の陳情の結果、厚労省もようやく新館の建築を認めていただき歴史資料館の開館に至りました。歴史資料館には他に例を見ない、「菊池医療刑務支所」単独房も復元されています。

菊池恵楓園歴史資料館の企画、展示は株式会社乃村工藝社に発注し、展示終了までに7年を要しました。細部に至るまで施設、自治会、学芸員により調整が図られ開館に至っています。

コンセプトは「あなたは私」「私はあなた」絶対隔離の中で絶望するのではなく、いかに生きてきたのかその事を感じ取っていただければ望外の喜びであります。