恵楓園資料館本妙寺事件

本妙寺事件

本妙寺とは

飽託郡花園村(現;熊本市西区島崎)にあるお寺「本妙寺」は日蓮宗六条門流の九州総本山です(http://www.honmyouji.jp/accses.html)。熊本城を築城したことで有名な戦国大名・加藤清正によって建立されており、400年以上もの長い歴史を持っています。清正は熱心な日蓮宗信者でもありました。

 

全国からハンセン病患者が集まる

明治時代の初めには、本妙寺はハンセン病患者の集合地としても知られるようになります。加藤清正の死に様に不審があったことから「家康に毒饅頭を食べさせられた」「癩になって死んだ」などの風説がつくられたことがその理由の一つとされています。この本妙寺で祈れば清正の慈しみによって回復するという信仰が生じ、多くの患者が集まるようになったとされています。他にも日蓮宗が重視する経典「法華経」の一節に「癩」の記載があるためともされています。

本妙寺

昭和15(1940)年頃
本妙寺浄池廟。この手前に患者物乞いを行う参道があった。

 

本妙寺の周囲には明治時代の中頃から、ハンセン病の患者が生活する集落が形成されていきます。この時期、全国の各地で患者が集まって生活する場所が存在していましたが、特に本妙寺は帝国議会でも言及されるほど多数の患者が集まる場所でした。

 

九州療養所の設置

明治42(1909)年に九州療養所が設置されて以降、この周囲に住む患者は度々収容の対象とされてきましたが、その後も集まる患者の数が減ることはありませんでした。

本妙寺周辺で物乞いをする患者の様子

昭和15(1940)年頃
本妙寺周辺で物乞いをする患者の様子

 

本妙寺患者集落の見取り図

昭和15(1940)年
本妙寺患者集落の見取り図

 

昭和期になると、日本は軍国主義の時代に突入します。特に昭和12(1937)年の日中戦争開戦以降、国民意識は高まっていきます。昭和15(1940)年は「紀元二千六百年」、この年は伝説上の初代天皇・神武天皇が即位した年とされており、このときには全国各地で記念事業が展開されています。

 

事件の発生

同年7月9日、熊本県警と九州療養所が協力して本妙寺集落患者の検挙、集落の解体が実施されました。145名の患者が検挙され、そのほとんどが他県の国公立療養所に移送されました。

本妙寺患者集落解体の様子 本妙寺患者集落解体の様子

昭和15(1940)年7月9日
本妙寺患者集落解体の様子

 

療養所以外の選択肢、その可能性

療養所で生活するしか認められなかった人たち、療養所から逃れた人たちの集まる場所であった本妙寺もこのような形でその存在が否定されました。本妙寺集落の実際の治安や衛生状態、患者生活の実態などについては今後考察されるべき点が多くありますが、療養所での生活以外の選択肢、少なくともその可能性が本妙寺の患者集落にはあったのです。