恵楓園資料館歴史資料館のあゆみ

歴史資料館のあゆみ

歴史資料館は「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」の原告側(ハンセン病療養所入所者・退所者ら)勝訴判決がなされて以降に進められてきたハンセン病患者・回復者、またその家族らの名誉回復事業の一環として設置されました。

当初は療養所に付属する「資料展示場」のような施設でしたが、館事業の伸展、リニューアルの実施を受けて、現在では地域における人権教育の拠点、ハンセン病問題の調査研究施設としての地位の確立を目指す段階となっています。

出来事
平成8(1996)年 「らい予防法の廃止に関する法律」交布。
平成10(1998)年 菊池恵楓園、星塚敬愛園の入所者ら13名が原告として「らい予防法国家賠償請求訴訟」訴状を熊本地裁に提出。
平成13(2001)年 「らい予防法国家賠償請求訴訟」原告側勝訴(最終原告数561名)。
判決を受け、熊本県が「ハンセン病施策関係資料収集事業」を実施することを決定。同事業は県がこれまで行ってきたハンセン病に関する施策を体系的に整理することを目的としていたが、その実施は肥後医育振興会に委託された。約1年半程度の間、資料調査が恵楓園、待労院、リデル・ライト両女史記念館、熊本大学などで実施される。
平成15(2003)年 熊本県「ハンセン病施策関係資料収集事業」終了。
由布雅夫恵楓園長(当時)は恵楓園における資料収集及び整理事業は継続すべきと判断、園福祉課職員を配置して資料整理作業を続ける。
平成17(2005)年 財団法人トヨタ財団よる助成を受け「ハンセン病施設における関連資料の整備集成並びに環境保全に関する研究」実施。
職員を雇用し、恵楓園内旧事務本館等に収蔵される文書に対する資料整理が進められる。
平成18(2006)年3月 トヨタ財団からの研究助成の一環として熊本大学五高記念館で「資料保存のための学際シンポジウム」が開かれる。
平成18(2006)年12月 旧事務本館を改修、「社会交流会館」という名称の資料館としてオープン。
平成22(2010)年1月 「平成21年度ハンセン病問題対策協議会における確認事項」において、菊池恵楓園に学芸員を配置することについて前向きに検討することが確認される。
平成22(2010)年11月 学芸員配置。
平成24(2012)年 社会交流会館運営委員会において社会交流会館の展示替えを行うことが決定。
平成25年度に恵楓園で開催される「ハンセン病市民学会」に完成させることを目処としてリニューアル事業が始められる。
運営規程の見直し、展示替えの実施などを行う。
平成25(2013)年5月 社会交流会館リニューアルオープン。
熊本県で開催されたハンセン病市民学会において、九州療養所入所者の遺体から熊本医科大学医師が骨格標本を作成していたことについての問題提起がなされる(「骨格標本問題」)。
恵楓園入所者自治会、熊本大学医学部からの調査依頼を受け、恵楓園に骨格標本問題調査委員会が設置される。
恵楓園内に収蔵される事務文書、カルテなどに対する本格的な整理、調査が進められる。
平成27(2015)年 恵楓園入所者自治会の要望を受け、園が「新社会交流会館整備検討委員会」を設置。
本格的な資料館の設置に向けてリニューアル事業が開始される。
平成29(2017)年4月 恵楓園入所者自治会が株式会社乃村工藝社と「展示基本計画書」作成のための契約締結。
展示業者を用いた高い技術水準での展示計画が策定される。
平成29(2017)年6月 第90回日本ハンセン病学会総会・学術大会が恵楓園で開催。
シンポジウム「ハンセン病アーカイブズ構築のこれから」においてハンセン病療養所に収蔵される文書群の管理方針について議論される。
令和元(2019)年 旧菊池医療刑務支所跡地解体。
厚労省・法務省の同意の下、刑務所内にあった設備の一部が恵楓園に譲渡。
設備は資料館展示室における刑務支所独房の再現展示の作成に用いられた。
令和2(2020)年3月 新型コロナウィルス感染拡大防止のため、社会交流会館への見学受入を停止。
リニューアルのための改修工事も開始されたため、受入停止は2022年5月まで継続。
令和2(2020)年9月 恵楓園が「骨格標本問題」報告書を作成、恵楓園入所者自治会及び熊本大学医学部に提出。
恵楓園に収蔵されるカルテ等を含む昭和期までの文書群についての目録作成がほぼ完了する。
令和4(2022)年5月 リニューアル式典開催。
社会交流会館が「恵楓園歴史資料館」と改称される。